みんな知っていた?お正月ジョーホー

〜色々な由来〜

 

お正月の由来

正月はもともと家に歳神様を迎えて祝う行事です。
門松を立てたり、しめ飾りをしたり、鏡餅を飾ったりするのは、すべて歳神様を心から歓迎するためのものです。
伝統的な正月料理は、もともと歳神様に供えた「節供」(せちく)のお下がりをみんなでいただくという神事「直会」(なおらい)の名残です。
海・山の幸をとりそろえたものですから、栄養的にもバランスがとれています。

 門松の由来

 門松は、今では正月の飾りもののように思われていますが、もとはといえば歳神(としがみ)の依代(よりしろ)といわれ、歳神が宿る安息所であり、また、神霊が下界に降りてくるときの目標物と考えられていました。この歳神とは、別名を「お正月さま」、「若年さま」、「歳徳神」などとも呼ばれ、正月に家々に迎えられる神をいい、昔は白髪の福相の老人だと考えられ、今でも、若者が白髪の老人に扮して、大晦日の夜、家々をまわって子供達を訪れ、お年玉として餅を与える風習の残っている地方もあるということです。歳神は、年棚(としだな)とか恵方棚(えほうだな)を新しく作って祭るのが普通です。神前には、神酒や鏡餅、白米、かち栗、干柿、昆布、するめ、海老などを供え、歳神に対する感謝の気持ちをあらわします。

 

鏡餅の由来


 鏡餅は、「お鏡」、「お供え」、「お重ね」などと呼ばれその由来は、昔、女が鏡の前に飾ったので鏡餅とするもの、あるいは古代の鏡が丸い形をしていたのでその名が残ったとするものなどいろいろです。ともあれ、これが床飾りとして発達したのは、室町時代以後床の間のある書院造りができてからといわれています。

鏡開きの由来

1月7日を過ぎると鏡餅を下げ、飾りを取り除く家庭が多いようですが、本来は、11日まで飾っておいて、飾りを取り除くと同時に鏡餅を食べるのがしきたりです。もとは正月20日に鏡開きが行われていました。武家では甲冑(かっちゅう)などの具足(ぐそく)に供えた具足餅をさげてお雑煮にして食べ、この日を「具足開き」として祝ったといい、婦人は鏡台に供えた鏡餅を「初顔」を」祝うといって、ともに20日の行事とされていました。ところが、徳川三代将軍家光が正月20日に亡くなったため、それ以後は11日に行われるようになったといいます。いまでは、11日に行うのが一般的ですが、地方によっては、4日、6日、7日に行ったり、14日、15日に行うところもなります。

おせち料理の由来

おせちとはお節句(せっく)からきた言葉です。本来は正月だけでなく、正月七日の人日(じんじつ)、三月三日の上巳(じょうし)、五月五日の端午(たんご)、七月七日の七夕(しちせき)、九月九日の重陽(ちょうよう)の五節句などの式日に用いる料理のことでしたが、今日では正月料理だけが「おせち」よ呼ばれています。
 正月におせち料理が普及した理由のひとつには、おせち料理があるあいだは、家庭の主婦も台所仕事から解放されて、休養できるという意味あいがあったといわれています。

 

私は、でんとうてきだなぁと思いました。

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